下記は2019年に
初めて選挙に挑んだ時の「私の初心」です。
初心を忘れず「これからもずっと」想いは続きます
コマツシマに感謝
この街でなければ、実家が銭湯でなければ、
私は今ここにいません。
「勉強だけは頑張りなさい」母と最後に会話した言葉です。
私が12歳、母がくも膜下出血で植物状態になり、父子家庭のような状況になりました。
父は母の介護のため仕事を辞め家業の銭湯を継ぎ、私は学校、家業の手伝い、病院の付き添いの日々。
母との最期の会話を忘れたことはありませんでしたが、当時毎日を生きることに必死でした。
そんな毎日から逃げ出さず成長できたのは、地域の皆様、コマツシマの医療福祉関係者の皆様、
そして稲荷湯のお客様のおかげだと考えています。
日頃から「頑張ってるね」「大丈夫?」と声をかけてもらい、そして手を差し伸べていただきました。
未熟な私にとって、かけがえのない大きな支えでした。私はコマツシマの地域の皆様に育てていただきました。
コマツシマは私のもう一つの家族です。
コマツシマに全力で
「余命3か月です。いつ亡くなってもおかしくありません」
私が25歳。父の余命宣告、あの時の全身の震えを今も忘れません。
母のために必死で生きた父が母の最期を見届けられない。
「絶対に死なせない」あがき続け見つけた唯一の助ける方法、私が提供者ドナーとして生体肝移植を行うこと。
私は父に肝臓の3分の2と胆のうを提供しました。
手術は成功し2年後、母の最期を家族で見届けることができました。
術後、家族のために小松島で生きていくと決めたとき、私は1つの「志」を立てました。
「私のもう一つの家族であるコマツシマを元気にしたい」
資産も何もない一個人に何ができるのか、自問自答を繰り返しながら全力で挑み続けました。
東阿波CATVの設立時に従事、大学ベンチャーでの事業開発、NEDOなど補助事業の運営、工場誘致。
30歳からは自分の会社コンサルタント・化粧品製造「ナチュラルアイ」を小松島で設立。
近年では小松島の企業誘致にも力を入れ、小規模バイオマス発電所の誘致にも成功しました。